僕のことが大嫌いだったマリ
徳山動物園は山口県周南市にあります。旧徳山市が市町村合併によって名称は周南市に変わりましたが、動物園の名前は創設以来変わっていません。
ここには以前、マリさんという名のサバンナゾウ(アフリカゾウの一種)が暮らしていました。
実は彼女、僕のことがとても嫌いだったんです。僕、特に何もしてないんですよ。だから、僕を嫌った理由はわかりません。とにかく僕のことが気に入らなかったようです。
それは初めて会ったときからそうでした。改めていいますが、僕が何かをしたというわけでは断じてありません。僕は動物たちの自然な姿を表現したいと思っていますので、こちらから動くようなことは絶対にないのです。それが初対面でいきなり僕に近づいてくると、鼻を使ってものを投げつけてきたのです。といっても少量の土やワラでしたから特に被害があったわけではありません。でも、とても怖い目をしていました。ゾウさんの目って実はすごく鋭いんですよ。
最初は、たまたまご機嫌斜めだったのかな、いや誰にでも同じようにしているのかもしれないと考えたりしました。でも他のお客様には決してそんなことはしません。結局、僕に対してだけなのです。
マリさんは僕を嫌っている。それを確信したのは徳山動物園を2度目に訪れた日のことでした。エントランスを抜け、順番に動物たちを撮影していき、ゾウ舎のグランドに到着しました。前回同様マリさんは僕を認識するとつかつかと近づいて威嚇してきます。親愛の情など皆無です。そうか、やっぱり僕が嫌いか……。でも、そのうち彼女は平静になったので、今のうちに写真を撮ろうてとカメラを向けました。
そこへ小学生2人がやってきてマリさんの写生を始めたのです。子どもの前ではおとなしいんだと、僕は彼女の写真を撮り続けました。すると、何を思ったのか、小学生が僕にゾウさんについて質問をしてきたのです。知ってることは答えていきました。そして調子にのってしまった僕は、小学生たちに向かって講義を始めてしまったのです。マリさんを背にして……。
すると、小学生たちがクスクス笑いだしたのです。さらに僕の頭に何か柔らかなものが降ってきます。振り向くとマリさんの姿。彼女が、偉そうにしている僕にワラを投げつけていたのです。また、怖い目をして。
やっぱりきみは僕が嫌いなのか……。まあ、小学生が喜んでくれたからいいかって思うことにしました。
マリさんの飼育担当の方に尋ねたこともあります。どうやら嫌われているようなんですと。すると、「ゾウにはそういう所がある」
ということでした。
マリさんのイベントで、お客様からエサを受け取るというものがありました。「ごくたまにですが、特定の人からだけ食べ物を受け取らないことがあるんです。何度やり直してもその人からは食べようとしないんですよ」と教えてくださいました。
他の動物園のゾウ担当者さんも同じようにおっしゃいました。「うちのゾウも新しい飼育担当者を嫌って、結局担当替えをしたことがあったなあ」とのことでした。
すっかりマリさんに嫌われてしまった僕。でもイヤな気はしなかったですね。むしろ楽しかったです。なにしろ僕のことを特別扱いしてくれてるんですから。他のお客様は無視しても、僕のことは認識していてくれる、それは僕にとって喜びでもありました。
その後もマリさんに逢うために、何度も徳山動物園に出向きました。
ある日、マリさんは雨なので、運動場には出ず寝室で休んでいました。僕は寝室側の観察口に向かいます。やはりマリさんは近づいてきました。相変わらず怖い目で。そこへ若い女性の二人組が入ってきました。僕は話しかけました。
「気をつけてくださいね。この子、僕のこと嫌いで、なんか投げてきますから」
そういった矢先にワラを投げつけてくるマリさん。最初は驚いていた女性たちも、最後にはマリさんの記憶力に感心していました。
あるときは、僕の姿を認識すると一つ唸ってからその場で軽くジャンプしたのです。まるで、どうしようもない怒りをそうした行動で表したようでした。
2012年2月15日、マリさんの永眠を伝えるニュースが届きました。推定32歳、人間の年齢だと45~50歳にあたるそうです。
『ぞうさん』の作詞で知られる詩人のまど▪みちおさんが新たに書いた詩のモデルとなったマリさん。
僕のことが大嫌いだったマリさん。
たくさんの思い出をありがとうございました。
献花に行っての帰り、気がつくと涙が出ていました。新幹線の中でした。
一方的に嫌われた相手が亡くなり哀しくて涙するなんて、最初で最後だと思います。
現在、徳山動物園にはスリランカゾウ(アジアゾウの一種)のミリンダ(♂)さんとナマリー(♀)さんが暮らしています。マリさんが亡くなって2年近く後の2013年にやって来ました。