仲が悪かった2頭のゾウさん
加藤
「天王寺動物園にゾウはいません」
現在、大阪▪天王寺動物園のゾウ舎の前とその周辺にはこんな看板が掲げられています。
2018年1月25日、アジアゾウのラニー博子さんが永眠したことで、天王寺動物園にゾウさんがいなくなってしまいました。
博子さんは生まれてまもなくお母さんを亡くし、地元の人に保護されました。そして1970年の大阪万博を記念してインド政府から日本に贈られてきたのです。名前は、万博から「博」の字を取りました。ちなみにラニーはインドの言葉で“女王”という意味だそうです。亡くなったときは推定で48歳でした。国内のゾウのなかでは当時4番目の高齢だったということです。
実は天王寺動物園にはもっとお年寄りのゾウがいました。春子さんです。1950年にタイから来園、2014年7月30日に永眠するまで60年以上同園で暮らしました。推定年齢66歳。亡くなった当時、日本で2番目の長寿のゾウでした。
野生のゾウはメスだけで群れを形成し、年功序列でリーダーが存在します。それは動物園でも同様で、最年長がリーダーになるのが通例だそうです。それでゾウ同士がうまく暮らしていけるのです。事実、春子さんも百合子さんというゾウととても仲良くやっていたといいます。
博子さんがやって来たときも、春子さんが彼女に対してリーダーシップを発揮しようとしたのは当然でしょう。ところが博子さんはそれに従わなかったのです。
博子さんのお母さんが殺されたのは、人間の密猟によるものでした。象牙を取るためです。お母さんを失って以来人間に育てられ、ゾウの社会ルールを知らずに暮らしてきた博子さん。どうしていいのか分からなかったのでしょうね。
一方の春子さんも、そんな博子さんの事情など知る術もなく、ただただ無礼な子どもが気に入りません。
どちらが悪いというわけじゃない、仕方のない状況に陥ってしまいました。
春子さんは百合子さんと一緒になってイジワルをしました。夕食用の皿を隠したり、ウンチを投げつけたり……。
ところが博子さんも体が大きくなると反撃するようになったのです。まずターゲットを百合子さんにし、旧ゾウ舎の堀に百合子さんを突き落としました。それも2回。
2000年、百合子さんが心臓病で永眠。
次いで博子さんは、リーダーの春子さんを挑発しだしたのです。春子さんの周りをうろついたり、鼻先で体をつついたり……。やがてそれはエスカレートし、激しいバトルとなったのでした。
旧ゾウ舎から現在の展示グランドにかわってからは、2つの運動場の真ん中に柵を造り、両者がふれあいにくいようにしていました。それでも柵ごしに鼻をからめあっての攻防などがおこなわれました。
新しい展示グランドはスタッフの方がタイまで出向き、ゾウの住む環境を調査。現地に
近い環境造りがされました。ああ、それなのに……。ケンカがなければ柵などいらず、とても広いグランドになっていたのに。
そんな状態が何年かつづいた後、あるときから争いはなくなりました。高齢による体力低下を認識した春子さんがリーダーの座を譲ったのかもしれません。
やがて春子さんが永眠。以来博子さんに元気がないように映ったのは考え過ぎでしょうか。
春子さんの死から4年、博子さんも旅立ちました。
メスのゾウさん同士が仲が悪いという、特殊な関係を見せてくれていた春子さんと博子さん。飼育員さんたちは大変だったでしょうが、ある意味、天王寺動物園の名物でもありました。
春子さんの永眠で柵も一部解放され、博子さんの逝去でグランドは寂しい風が吹いています。